花の大江戸、くさやが結んだ画人・文人こころの絆。

・・・・・・・・・・友からの便りの代わりのくさやかな・・・・・・・・・・



元禄11年(1698年)、風刺画により時の将軍徳川綱吉の怒りをかい、流刑に 処せられた画人、英一蝶。


彼は、かねてより親交厚かった俳人の宝井基角に


「囚人はくさや作りを課せられる。おそらく便りを出すことは許されまい。丈夫でいる印として、くさやの干物のエラに笹の葉を隠し刺しておく。」


と言い残し、三宅島に流されました。


後日、江戸日本橋の魚河岸に三宅島産のくさやが入荷したとの報せを受け、取るものも取りあえず駆けつけた基角。


問屋の主人の驚きをも意に介さず、端から箱をぶちまけて笹の葉を見出し、友人をしのび涙したとか。


話の後半はフィクションかもしれませんが、一蝶の流刑は事実。


当時から伊豆七島産のくさやが江戸市中に出回っていたこともほぼ確かとされています。
 


英一蝶/はなぶさいっちょう (1652〜1724)

狩野派の画家。元禄11年流罪になり宝永6年(1709年)江戸へ帰る。

代表作は《琴棋書画図》等のびょうぶ絵。一方、反俗精神と時代風俗を表現した風刺画的な新画題を拓いたことでも知られる。

宝井基角をはじめとする松尾芭蕉門下と交わり、俳諧・狂句をたしなむ高尚な趣味人でもあった。
 

宝井基角/たからいきかく (1661〜1707)

俳人。松尾芭蕉の弟子としては最古参で、いわゆる‘蕉門十哲’のひとり。

14〜15才で芭蕉門下に入り、派手な句風‘洒落風’で一世を風びした。

撰集に《虚栗(みなしぐり)》《華摘》《枯尾花》などがある。

 

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